歴史修正主義批判がなされるのは「絶対的真実としての歴史があってそれに対する修正を許さない」からではない

http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052での藤田直哉*1に限ることではないのですが、歴史修正主義という言葉の成立過程を知らないがゆえの無知に基づいたどうしようもない憶測と、それを前提としたどうしようもない「批判」があるのは事実ですので、それについて説明したいと思います。

@crow_henmi 普通にパフォーマティヴに左翼を攻撃しているんでしょう。そして「歴史修正主義」という言い方には、「決まっている真実」があり、それを修正している、という意味を含意していると思うが、「決まっている真実」がない以上、「歴史修正主義」というレッテルもおかしい... 5:04 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi
「決まっている真実」(虐殺の数)があると思い込み、疑わず、それを信じない人に「修正主義」とレッテルを貼って攻撃する思考停止型左翼を攻撃しているんでしょう。普通に。... 5:05 AM Dec 2nd from web

ホロコースト否定論や南京事件否定論といった各種否定論が歴史修正主義と呼ばれるのは、歴史に「決まっている真実(あるいは絶対的真実)」があって、それを修正しようとしていると見做されているからではありません。
はてなキーワード歴史修正主義にも書いたことなのですが、そういう歴史上の事件を否定しようとする人々が修正主義を騙ったことにあります。
その部分を、はてなキーワードから引用しましょう。

歴史修正主義という言葉が使われる経緯

物語られた歴史historyは,見直し=修正revisionの可能性につねに聞かれている.見直し=修正を拒否する歴史は,イデオロギー的に絶対化された歴史である.だから,修正主義revisionismという言葉も,かつては必ずしも悪い意味ではなかった.ところが近年では,「歴史修正主義」という言葉はほとんどいつもネガティヴな意味で使われ,批判の対象に付けられるべき名前となった.「ホロコーストナチス・ドイツによるユダヤ人大量殺戮)などでっち上げ」「ナチ・ガス室はなかった」などと主張するホロコースト否定論者たちが,みずから歴史修正主義者revisionistを名乗って活動していることが大きい.1990年代後半の日本に,「自虐史観」批判を掲げて登場し,「日本軍〈慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」「南京大虐殺はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が,「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになったのも,この連想か働いたためである.

「歴史/修正主義」高橋哲哉岩波書店)p.iiiより。
歴史の修正を騙り歴史を捏造・歪曲・否定しようとする人々が歴史修正主義者と呼ばれる所以は、このように彼らが自ら歴史修正主義者を名乗って活動していたことにある。

科学でないのに科学を騙る似非科学のように、歴史修正主義歴史学でないのに修正主義という歴史学の立場の一つを騙る似非歴史学として登場したわけです。
そして、歴史上の事件に対して確からしさを求め続ける学問研究の成果である歴史学を偽物扱いし学問研究の成果というに値しない否定論を「真実の歴史」と騙り続けているわけです。
修正主義という言葉はそういう彼らによって貶められ、その結果、歴史を捏造・歪曲・否定しようとする人々の呼称となってしまったわけですね。

歴史修正主義を批判する人々は「歴史は絶対的真実だ。修正は許さない」と主張しているわけではありません。そういう捏造・歪曲・否定を批判しているのです。だから、「絶対的真実なんてない」なんて歴史修正主義批判を「批判」することは荒唐無稽以外の何物でもありません。
歴史が「決まっている真実」として扱われていないことは、史料の発見や発掘や考証といった学問的手続きにより歴史が適宜修正されていることから明らかでしょう。
近年で言えば、桶狭間の戦いの様相は大幅に書き変えられましたし、伝説扱いだった夏王朝が実在した可能性は飛躍的に高まりました。
では、史料が絶対的真実として扱われているかといえば、そうではないことも明らかです。史料自体もその確からしさは厳しく追求されるわけです。
その結果、「シオン賢者の議定書」や竹内文書のような文書は偽書として扱われ史料としては扱われません。そういうものを根拠として主張する人はトンデモとして扱われます。
歴史が「決まっている真実」でない以上、新史料の登場によりそれまでの記述が覆ることもあります。
例えば、冷戦終結後、ソ連時代の史料の公開により独ソ戦の様相は随分と書き変えられました。
以上から明らかなように歴史の修正が批判されているわけではありません。
歴史修正主義批判は歴史の修正に対する批判ではなく、歴史の捏造・歪曲・否定に対する批判なのです。

歴史修正主義はなぜ悪いのか。聖書だって歴史修正主義だろw あんなもん嘘に決まってる。古事記も駄目だな。...

なぜ悪いかといえば、捏造や歪曲を真実として扱おうとするから、といったところですね。
聖書や古事記に関して言えば、それは歴史修正主義の問題というより史料としてどう扱うかの問題。
歴史学的にはそれらの内容が捏造や歪曲にまみれていることは確定的。
聖書にしても古事記にしても日本書紀にしても、その内容をそのまま歴史上の事実と主張すれば歴史学的にはトンデモ扱いされるでしょうね。でも、それは信仰や物語としてのそれらを否定することではありません。

もし事実として南京大虐殺がそんなにたくさんの数殺してなかったら、大袈裟に言いふらしてきた左翼の人こそが、イデオロギーに基づいて歴史を歪めていた「歴史修正主義者」になると思うんだが。...

中国国民党が主張する40万人説*2を日本に伝えたのは産経。産経って左翼だったんですね。
3020万人説*3を採用したのは東京裁判。連合国って左翼だったんですね。
というのはさておき、この文は書いている人の「反歴史修正主義は左翼」という思い込みを暴露しているだけですね。
人数については二十万都市で三十万虐殺?を読まれてみてはどうかと思います。

@crow_henmi しかし昔喧嘩になって調べたんだが、歴史学者の中でも意見が大きく割れているんだから、どうすんの、っていう。もうソース忘れたけど、アカデミックな権威の人が、数万から数十万まで別々のこと言ってたよ。..

諸説があること自体には問題はありません。
これまた、「「決まっている真実」(虐殺の数)があると思い込み、疑わず」という憶測に基づいた思い込みによる「批判」ですね。
現時点では、邪馬台国の位置については諸説があったりするわけですが、それで「どうすんの、っていう」こと扱いされたりすることはありませんよ。
邪馬台国の位置を特定できる史料がないからといって「邪馬台国なんて存在しなかった」と言えば否定論(歴史修正主義)扱いになるでしょうけどね。


件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが、「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことで、本人の資質の問題ではないと思うことにします。
ちなみに私は知識人でも人文系でもありません。自分のことはアホでバカでマヌケでろくでなしで腹黒、不精、駄目人間、不謹慎、偽善者と思っています。

歴史修正主義批判は虚偽を用いての戦争犯罪の否定に対するリアクションであって戦争犯罪の追及が目的というわけではない

Midas この件も「日本SUGEE!」も南京虐殺も、これまであったナショナリズムではない。左翼はまだ理解できてない。修正でなく捏造。今年初めまでは「ネタかベタか」的な論争が可能だった。もう無理。一方通行に近い


D_Amon id:Midas氏、「修正でなく捏造」なんてことは分かりきっていることで、捏造なのに修正主義を自称していたから「ハイハイ、歴史修正主義ね」と呼んでいるだけのことです。修正主義自体が悪いというわけではないんです。

はてなブックマーク - 国籍法改正反対ビラのスレッドが凄い事になっている件 - 解決不能

Midas 残念ながら構造が全く違う。その解説は「ネタベタ論争」を1歩もでてない退屈な老人の説教。そのように事象を差異へと還元する姿勢こそ誰かさんの大好きなポストモダン。君らの話してるのは「敵」の言葉>id:D_Amon

http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20081207/p2

1.どういう風に「残念ながら構造が全く違う」のか分かりません。具体的に説明してください。私にしてみれば、こういう「情報戦」ぶりは相変わらずのものに過ぎません。

2.どうして「その解説は「ネタベタ論争」を1歩もでてない退屈な老人の説教」なのか具体的に説明してください。この種のトンデモを批判すると「ネタだよ(ベタでやっているわけではない)」「ネタにマジレスかっこ悪い」とか言われることがありますが、私はネタだろうがベタだろうがマジレスするときはマジレスします。

3.「そのように事象を差異へと還元する姿勢こそ誰かさんの大好きなポストモダン」の意図を測りかねるので具体的に説明してください。「修正でなく捏造」と差異の存在を主張したのはMidas氏の方ではないかと思うのですが。それに「事象を差異へと還元する姿勢」が何ゆえにポストモダンなのでしょうか。

4.「君らの話してるのは「敵」の言葉」というのが仮に事実だとして、何が問題なのでしょうか。私は別にポストモダン自体を敵視していませんし、仮に敵視しているとして、言葉の使用で問題になるのは使用者ではなくその正誤というもの。
それが「間違っていると指摘している言葉を自ら使用している」という指摘ならば、具体的に説明してください。

nichijo_1 歴史修正主義に反対しますリングのはてサと似たようなものだね.ある戦争責任に全く言及できないで戦争責任批判気取りをしているバカはてサと似た方向性.

及び日記
id:nichijo_1氏が主張する「ある戦争責任」がどういうものかはトラックバックされた記事を読んで把握しましたが、的外れとしか言い様がありません。
そもそも戦争責任批判気取りなんてしていませんし。
歴史修正主義を批判するのは、上記しているようにそれが似非歴史学だからであって、戦争責任を追求することが目的というわけではありません。
戦争犯罪や戦争責任について書くのは、歴史修正主義者がそれらを虚偽をもって否定しようとするから、その主張がいかに虚偽であるかを示すためにそれらについて書かなくてはならないからです。
つまり、目的ではなく結果。
その結果が、見る人によっては戦争責任の追及を目的としているように見えることがあるということまで否定はしませんがね。
実際問題、歴史修正主義に関する議論が収束し、それを批判する必要が無くなれば、私もその分の時間を別のことに使えて助かるんです。
そういう意味では、ここ最近話題になっている東浩紀氏の否定論の存在を容認するかのよう主張は、議論の収束を阻害するという点において邪魔者以外のなにものでもなかったりします。
まあ、歴史修正主義を批判する動機の一部に、多くの日本人を無駄死にさせた大日本帝国の指導層に対する怒りとか、安倍政権下での従軍慰安婦否定論の国際社会における自爆のような自国の傷を広げる行為に対する怒りとかが無いと言えば嘘になりますが、歴史修正主義に関する議論が収束すれば、それらについて言及する必要がなくなるというのは本当です。

*1:本人曰く、「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているらしい。

*2:コメント欄参照

*3:コメント欄参照